解かった!法華経の「良医病子の譬え(ろういびょうし、如来寿量品)」 その1

 以前のブログタイトルで、「解かった!法華経の衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え」というのをご紹介いたしました。


 この時、「衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え」の私なりの解釈を、ご紹介させて頂きました。

 文章の最後に、「良医病子の譬え(ろういびょうし、如来寿量品)」だけ、「どうしても分からない」と締めくくっておりました。

 しかし、先日、この「良医病子の譬え(ろういびょうし、如来寿量品)」を、何ゆえか、ふっと思い浮かびました。

 そして、「あ!そうか、そういうことか。」と、解ったのです。ついに通せた気がしたのです。

「衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え」が分かった時ほどの、衝撃は無かったのですが、「小躍りしてやったー!」という感じでとても嬉しかったです。


 日蓮上人が、比叡山に12年間修行して、一切経典読破した中で、法華経こそが、釈尊が説いた教えの中で、最も重要な教えで、その中の「良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)」が特に大切だと、喝破した理由が分かりました。

 二乗作仏(にじょうさぶつ)、声聞・縁覚(しょうもん・えんがく)も、救えると日蓮上人が言った理由も分かりました。

 そして、500年に一度の天才と言われた、白隠が、42歳に法華経を読んで、大悟した、その根本も同時に分かりました。

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※二乗作仏、声聞・縁覚とは

(私なりの解釈)
 自分なりの見識や感覚で、覚った思い、それ以上精進をしない人達のこと。
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 私が解った、その内容を、今回皆様にご紹介いたします。


 前も書きましたが、私は小学校の時に、ある仏教教団が出している法華経のコミックを読んだことがあります。
 それは、法華経の七つの譬えが、コミックで解説してあるものでした。当時、さっぱり意味が分かりませんでした。

「面白くもなんともないという感じで、コミックを閉じた記憶があります。」

 小学生で法華経を理解しろというのは少し無理ですが・・・

 そのコミックには、「良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)」も描写してあったのです。

 その内容は、以下の感じでした。


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●法華経:「良医病子の譬え(ろういびょうし、如来寿量品)」解説
(あるサイトから、参考にさせて頂いています。)

 ある所にどんな病気でも治す名医がいました。
 また、その医師には、たくさんの子供がいました。ある時、用があって、他国へ出かけました。

 その留守中に子供達は、間違って毒薬を飲んでしまい、腹を押さえて、苦しがっていました。そこへ、父(医師)が帰ってきて、その状態を見て、良く効く薬を作り、子供達へ与えたのです。

 しかしながら、子供達は、薬を飲みませんでした。それは、本心を失っている子供達には、その薬が良い薬と思えなかったのです。

 そこで、父(医師)は、何とか子供達に薬を飲まそうと、ある方法を考え、子供達に告げました。

「私は年をとって、体が弱り、あまり先が長くない。それなのに、また用があって他国へ出かけなければならないのだ。」
 と言い残し、調合した良薬を置いて、旅立って行きました。

 そして、旅先から使いをやって「父上は、お亡くなりになりました」と子供たちに、告げさせたのです。

 父が亡くなったと聞いた子供達は、大変驚き、悲しみました。そして、本心を失っている子供は、ハッと目を覚ましたのです。

 子供たちはようやく、良薬を飲み、毒による病は治ったのです。

 そうしたところに、父が旅先から帰ってきて、子供達の前に姿を表したのです。

(引用の解説ここまで)
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●私の解説

 このどんな病気も治せる医者というのは、お釈迦様のことなのです。

 子供達とは、お釈迦様のお弟子のことです。


 お釈迦様は、六大神通力を駆使して、もしくは、あらゆる説法で、衆生を済度(救済)し続けているのですが、

 お釈迦様は、あまりも偉大な力を、さも当たり前のように、振る舞っていたためもあってか、

 傍にいるお弟子たちは、お釈迦様の有難さや偉大さが、いつの間にか、分からなくなっていたのです。

 弟子入りしていた当初は、お釈迦様の教えに従っていたのですが、だんだん、狎れが生じ、言うことを聞かなくなっていたのです。

 これが、毒薬を飲んで腹を壊した状態なのです。
(二乗作仏、声聞・縁覚の状態なのです。)


 お釈迦様は、これは困ったと思い、解毒剤を作ったのですが、お弟子たちは、飲もうとしません。

 そこで、お釈迦様は、このままでは、お弟子達は修行しなくなると思い(お釈迦様に頼りすぎてしまうと感じて)、一旦お隠れになる(亡くなる)ことを決意したのです。


 お弟子たちは、お釈迦様が亡くなったことで、本当のお釈迦様の慈悲の心を知って、良薬を飲むことを決意するのです。
(今まで、お釈迦様に頼りすぎていたことを反省して、自ら精進することを決意すること。)

 そして、良薬を飲み腹痛が完治したお弟子たちは、お釈迦様のありがたさを、再認識するのです。

 そうしているうちに、再び、お釈迦様が現れたのです。
(父が旅先から帰ってきて子供達の前に姿を表したのです。)

 ここには、再び、お釈迦様は生まれ変わってくるという意味もあると思います。

(私の解説ここまで)
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●お釈迦様というのは、亡くなることさえ、慈悲であり救済なのです。

 お釈迦様というのは、亡くなることさえ、慈悲であり救済なのです。

 そして、再び生まれ変わってきて、再び、衆生を済度(救済)し続けるのです。これを永遠に繰り返しているのです。

要するに


●お釈迦様は、永遠の存在であり、生きていれば、現実の世界で、衆生を済度しつづけ、亡くなっても、あの世から、衆生を済度して続け、再び生まれ変わってきても、衆生を済度し続けているのです。永遠に衆生を済度し続けているのです。

 なんて慈悲が深いのだろうかと思います。

 この存在を、「久遠実成の釈迦牟尼仏」というのです。

★久遠実成とは(wikipediaより)

 久遠実成 (くおんじつじょう) とは、法華経の教えにおいて、釈迦は35歳で悟りを開いたのではなく永遠の過去から仏(悟りを開いた者)となって輪廻転生してきているという考え方。


続きはその2へ




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