一生懸命努力して体得した物は、永遠の財産である。その2


 前回のブログの続きです。10年以上ブランクのあった、ピアノの腕が、33歳で再開をしたら、ピアノの腕がまったく落ちていないどころか、上達していたという話をご紹介いたしました。


その理由として、

1、握力が付いた

2、神人合一の道を歩む過程で、雑念が出なくなった。そのために、楽譜を見て、曲を弾くという流れが、スムーズになった。

という話でした。

今回は、その3ということで、


3、人が一度覚えた物、体得したものは、簡単には忘れない。

一生懸命努力して体得した物は、永遠の財産である。

 ということをブログの記事とさせて頂きます。


 10年以上ブランクがあったのに、ピアノの腕が全く落ちていなかったのは、人が一度覚えた物、体得したものは、簡単には忘れない。

 ということが一番大きな要因かと思いました。


 20年以上も自転車の乗っていなかったおばさんが、勇気を出して自転車をこいでみたら、無事に転ぶことなく乗れた。
 という話を聞きますが、これと同じかと思います。

 人というのは、一度覚えた物、体得したものというのは、ずっとずっと頭と体に入っているということだと思います。

 ということは、前世の記憶も同じだと思いました。

 前世で体得したものというのは、エッセンスとして、御魂に刻みこまれているはずなのです。

 音楽を追求し体得した人は、生まれ変わったら、何となく音楽が好きで音感が良いとか、リズム感がいいとか。センスがいいとか。上達が早いとかあると思います。

 前世画家であった人は、色彩が良いとか、筆のタッチがいいとか。あるかと思います。

 前世、神仏に帰依し、一生懸命信仰に生きた人は、お経を聞いたら、興味を持ってよくわかないけど嬉しくなって、勉強したくなるのと同じかと思います。

 このブログでも何回かご紹介させて頂きました。500年に一度の天才と謳われた白隠禅師は、ワールドメイトの深見東州先生の話ですと、前世は臨済禅師だそうです。

 白隠の幼少期は、非常に利発な子で、子守りが歌う、小夜の中山の村歌三百余首を、背中で聞いて覚えてしまうほど暗記力が優れていたそうです。感受性も強く、5歳の時、はした女に連れて行かれた海岸で、雲の往来を見て「いかさまかわったものだ」と、子供ながらに、無常感を起こしたそうです。

 白隠の母は信心深い人で、寺へ行くのが好きだったそうです。白隠は泣いてせがんで、母と一緒に連れて行ってもらい、大人でも難しい説法を覚えて帰り、家の使用人達を集めて、話して聞かせたそうです。

 天才が生まれかわってきたら、やっぱり天才なのです。

 記憶はなくなっていても、体得した前世のエッセンスは、御魂に刻み込まれているのです。


 ワールドメイトの深見先生の前世の一つとして、真言密教七祖の恵果阿闍梨だそうです。

★恵果阿闍梨(wikipediaより)

 恵果(けいか、746年 永貞元年12月15日(806年1月12日))は、中国唐代の密教僧で日本の空海の師。俗姓は馬氏。長安の東にある昭応の出身。真言八祖の第七祖。

 出家した後、不空に師事して金剛頂系の密教を、また善無畏の弟子玄超から大日系と蘇悉地系の密教を学んだ。
 金剛頂経・大日経の両系統の密教を統合した第一人者で、両部曼荼羅の中国的に改変も行った。
 長安青龍寺に住して東アジアの様々な地域から集まった弟子たちに法を授け、一方では代宗・徳宗・順宗と3代にわたり皇帝に師と仰がれた。

 また、六大弟子と言われる六人に附法した。
 すなわち、剣南の惟上・河北の義円(金剛一界を伝授)、新羅の恵日・訶陵の辨弘(胎蔵一界を伝授)、青竜の義明・日本の空海(両部を伝授)。
 なお、義明は唐朝において潅頂の師となったが、早世している。

(引用はここまで)

 恵果阿闍梨は、当時2つの系統であった、金剛頂経・大日経の両系統の密教を統合した第一人者だそうです。両部曼荼羅の中国的に改変も行ったそうです。

 また恵果は、弘法大師空海の先生です。

 こんな人が生まれ変わってきたら、どうなるのでしょうか。

 それはもう、生まれながらにして、神仏を動かすエッセンスが全部御魂に刻みこまれているわけです。

 護摩木を焚かなくても、曼荼羅が無くても、法具がなくても、祭壇がなくても、祈るだけで、神仏を自由に動かすことができるわけです。

 弘法大師空海が、出口王仁三郎に生まれ変わったのと、全く同じです。


 ということは、一生懸命がんばって体得したものというのは、私が幼少期から22歳ぐらいまで磨いたピアノの腕が、10年以上のブランクの後にも全く落ちていなかったように、今世はもちろんのこと、来世まで、来来世までもずっとずっと、御魂から消えることはないのです。永遠の財産なのです。

 それを考えると、この世に生を受けた以上は、寸暇を惜しんで、勉学に励み、才能を磨き、人格を磨き続けなければいけないと、私はピアノの体験から、如実に感じ入りました。

 今後も、寸暇を惜しんでどんなことでも学び続け、精進していこうと決意を新たにさせて頂きました。




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