神仏に帰依して生きる人は、悪しき因縁に惑わされなくなる。


 神仏に帰依して生きることは、なぜ「良い」のか、なぜ「幸せな人生が送れるのか」を、最近私は考えておりました。

 先日、龍猛菩薩の「菩提心論」(和訳)を読んでいて、「なるほど」、と思う箇所がありましたので、皆様にご紹介いたします。

「龍猛菩薩とは」(wikipedia


●龍猛菩薩の「菩提心論」(和訳)より(一部抜粋)

龍猛菩薩の「菩提心論」にこういっています。
「およそ迷いの世界の諸法は妄想より生じます。

 そしてこの妄想から、つぎつぎに妄想を生じて、無量無辺の煩悩を作り、六趣に輪廻するのです。

 しかし、もし悟(さと)り了(おわ)ったなら妄想はなくなりますし、妄想にもとづいた種々の法は滅します。

 それゆえ、これらに本来の自性(じしょう)があるわけではありません。

(引用終了)


●雑念妄想は、人を不幸にする悪因縁を引き込む根源である。

 これを読むとよくわかるのですが、人を不幸にする悪因縁というのは、すべて妄想から生じる煩悩から生み出されているのです。

 考えてみればその通りなのです。迷いというのは、すべて妄想から出ているのです。この妄想が、深い妄想を呼び、それが煩悩となって、悪因縁を引き込んでいるのです。

 前のブログ記事「ワールドメイトの神人合一の法を学べば、幸せな人生を歩める。神仏に助けてもらって人生を歩める。 」でも書きましたが、私の青年期は、雑念妄想があまりにも出てくるため、自分を苦しめていました。(本当に毎日が苦しかったです。)

 この雑念妄想から迷いが生じ、学校でも、先生に怒られる、友人関係が壊れていく、という悪しきことが、連続で起きていたことを、龍猛菩薩の「菩提心論」を読んで、思い出しました。

 あの時、私を苦しめていた根源は、全て雑念妄想だったのです。

 悪口をグチャグチャ言う人も、悪口の根本は、妄想から生じる煩悩なはずです。
 悪口が悪口を呼び、終(しま)いには悪因縁を呼び、にっちもさっちも、いかなくなってしまうのです。

(明るくて素直な人というのは、あまり妄想が出ている感じはありません。)

 私の青年期は、この負のスパイラルに嵌っていたのです。


●雑念妄想を捨てることは、悪因縁から解放される第一歩である。

 しかし、ワールドメイト入会して、救霊を受け、神法悟得会入門篇のお祈りに基づく生き方をすることで、少しずつ雑念妄想が出てこなくなりました。
 体がだんだん楽になっていきました。嫌なことも、余り起こらなくなりました。そして、毎日が楽しくなっていきました。

 今では、なるべく神仏に心を向けて生活をしているので、ほとんど雑念妄想が出てきません。
(たまに出てきても、すぐに自分で消しております。)

 だからこそ、神仏に帰依して、信仰を持って一生懸命頑張る人は、雑念妄想が出て来ないので、悪因縁に巻き込まれることが無くなるのです。
(また、新たなる悪因縁を作ることもありません。)

 それゆえに、性格もどんどん明るくなって、良き人生になっていくのではないでしょうか。

 私は、真言八祖の一祖である、龍猛菩薩(西暦150頃~250年頃)は偉大であると思いました。今から約1800年も前に、人が不幸になっていくメカニズムを明確にして、文面化していたわけですから。

 この真理が、今の時代でも当てはまるというのも、何か不思議な感じがいたします。

 私は、この龍猛菩薩の言葉を大切にしながら、今後も、神仏に帰依しながら、信仰心を持って生き貫いていきたいと思った次第です。




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