オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」 [ワールドメイト・読書]

 ラジオNIKKEI第1 毎週金曜日 23:30~24:00に放送されている「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年11月20日放送分で、深見東州先生が、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルが書いた「弓と禅」という有名な本を絶賛されていたので読んでみました。

 「ワールドメイトブログ 豊かな人生を」さんが2015年11月20日放送分を書き起こしています。
「深見東州のぜんぶ私の歌、ぜんぶ私の話」2015年11月20日前半


弓と禅

弓と禅

  • 作者: オイゲン・ヘリゲル
  • 出版社/メーカー: 福村出版
  • 発売日: 1981/11
  • メディア: 単行本




 ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルは、大正13年(1924年)から昭和4年(1929年)まで、東北帝国大学に招かれて哲学及び古典語の講義を担当した。日本滞在中に弓道の修行を通して禅の思想と出会い、日本文化の根底に流れている禅への造詣を深めていく。「日本の弓道は驚嘆すべき技術だ」といい、この”驚嘆すべき技術”に身命を賭して没頭し、血のにじむような苦闘の後、ついにその奥義を極めた体験の内容が「弓と禅」である。西洋人による「禅」の哲学書であり、この本はスティーブ・ジョブズの愛読書としても有名。

 弓道の達人、阿波研造に弟子入したヘリゲルは、筋肉を使わずして弓を引くことを要求され、呼吸法による精神の集中を要求され、矢を放つ時には放とうという意志を持たずに放つことを要求され、最後に的を見ないで的を射ることを要求された。

 ヘリゲルは、稽古を繰り返したが、最後にひとつの抗議が言葉となって現れた。
「それでは先生は眼隠しをしてもあてられるに違いないでしょうね」
師範は「今晩お出でなさい」とヘリゲルを招いた。

 夜に招かれたら、道場には明々と電燈がついていたが、的山の方は真っ暗で、細長い蚊取り線香を的の前に差し込ませたのみで、的は見えない、的山の輪郭も見えない状況だった。

 師範は矢を二本放つ。一本目は炸裂音で矢が的に当たったことがわかった。二本目も当たった。的山の電燈をつけた時、一本目は的の真ん中に命中し、二本目は一本目の矢筈(矢の末端の弓弦を受ける部分)にあたり、その矢を引き裂いて、一本目と同じく的の真ん中に命中しているのをみて、ヘリゲルは呆然とした。

 この二本の矢により、ヘリゲルは一晩のうちにまるっきり別人になったかのように、矢やそれがどうなったかということについて、心を煩わすことがなくなった。

 ある日のこと、ヘリゲルの射が自ら放れていった瞬間に師範は叫んだ、「それが現れました、お辞儀しなさい」と。

 かくて射ようとする意志、的に当てようとする意志も滅却して、換言すれば完全に我を離脱して、我が射るのではなくて、”それ”が射るという絶対無の立場に徹したとき、初めて弓道の奥義を極めることができるのである。



 深見東州先生のツイートに「真髄について」つぶやいたものがあります。





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