前から解っていた、法華経の化城の譬え
今回は、法華経の「化城の譬え」の解説をしてみようと思います。
実は、この法華経の「化城の譬え」は、私が法華経の七喩の中で、一番初めに理解できた「譬え話」なのです。
(※一番簡単な内容なのかも知れません。)
★法華七喩とは(wikipediaより)
※「一部抜粋」
法華七喩(ほっけしちゆ)とは、法華経に説かれる7つのたとえ話のこと。
また法華七譬(しちひ)ともいう。7つの物語をたとえ話として説いている。
これは釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化したスタイルに則しており、法華経の各品でもこの様式を用いてわかりやすく教えを説いたものである。
----(引用終了)----
★化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)とは (wikipediaより)
宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。
しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。
そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。
人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。
この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、仏の化導によって二乗がその悟りに満足せずに仏道修行を続けて、一乗の境界に至らしめることを説いている。
法華経では、遥か昔の大通智勝仏が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見(まみ)え、四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを示し理解して、また修行により真の宝である一乗の教えに到達させることを表している。
----(引用終了)----
★「化城の譬え」私の解説
「ワールドメイト アンタレスの輝き」さんのブログでも、「化城の譬え」を解説してありましたが、私の解釈とほぼ同じです。
(以下が、私の解釈です。)
「宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。」
※ここの描写は、沙漠上を旅しているという解説が多いです。Wikipediaの解説は、砂漠を省いてあるようです。
信仰を志す集団が、真実なる道や宝を目指して、砂漠上を、旅しています。
※「東京砂漠」という、内山田洋とクール・ファイブの1976年(昭和51年)のシングル曲がありますが、このタイトル名は、この世(無常)のことを上手く言い当てていると思います。
「しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。」
信仰を志す集団は、砂漠上のためもあるのか、喉も乾き、体力も使い果たし、もう動けなくなってしまったのです。
「そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。」
ここが、この譬え話の中でとても重要な箇所です。
一人の導師(リーダー)が、神通力を駆使して、幻の城を化現させたのです。そして、その城に信仰集団のメンバー達を休ませたのです。
このお城は何を意味しているかというと、現代の事象で説明すると、主に、病気平癒、進学、就職、結婚、出世、収入、悩み事の解決、などです。
ようするに、導師(リーダー)が、神通力を駆使して、ある程度がんばって旅を続けてくれた人たち(旅人達)に、信仰上ある程度出てくる、現実的な功徳(病気平癒、進学、就職、結婚、出世、収入、悩み事の解決)を与えたのです。
※wikipediaでは、信仰上の一時的な悟りと解説してあります。
「人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。」
人々は、旅を続けて良かったと喜んでいたのですが、この城での喜びは(この世の喜び)は、いつまでも続かなかったのです。だんだん虚しくなっていったのです。
(御魂(みたま)が、あまり喜んでいなかったのです。)
この喜びは、仮のお城だったのです。
そう思っていた時に、
導師が、
「これは仮りのお城なんだと、さあ、本当に真実なるお城に向いましょう」
と言って、再び旅が始まるのです。
そして、また砂漠上(この世の事)を旅している時に、人々は疲れて切ってしまい、どうしようも無くなった時に、再び、導師が神通力を駆使して、仮の城を出現させるのです。
これを、何回も繰り返す過程の内に、真実なる城に到着するのです。
真実なる城とは、本当の覚りに達することだと思います。
禅の世界で言えば、見性(けんしょう)する。ワールドメイトで言えば、神人合一の道を体得する。仏教で言えば悟るでしょうか。
「化城の譬え」はここまでしか書いていませんが、覚ったらそれでお終いではいけないのです。
「ワールドメイト アンタレスの輝き」さんのブログで紹介されておりましたが、今度は導師(リーダー)としての務めもあるかと思います。
具体的な例で言うと、
白隠禅師は、導師(リーダー)として生涯務められ、晩年は500年に一度の天才と言われるほどの大導師になっていたのです。
伝教大師最長も、弘法大師空海も、古(いにしえ)の高僧は、みんな導師だったのだと思います。この化城の譬えのように、定期的に功徳(くどく)を出して、信仰集団を導いていたのです。
現代では、ワールドメイトリーダー深見東州先生もそうだと思います。
●信仰を志す者は、真実なる城を目指せ!
信仰を志す者は、仮の城を、真の城としてはいけないのです。真実の城に到着しなければいけないのです。
ここを間違えると、宗教に対して、間違った見解を持ってしまうのです。
本物の城や宝は、そんな簡単には到着できないのです。沙漠上を旅するのですから、辛い時があるのも当前なのです。
受験でも志望校に入学するには、勉強をしなければいけないのです。
古の禅僧が、見性(けんしょう)を得るには、十数年の修行がいったと、禅語録に載っています。
まさに、信仰というものは、どういうものかを、「化城の譬え」は解説していたのです。
●古の導師(リーダー)の苦労が伝わってくる。
前も書きましたが、私は小学校の時に、ある仏教教団が出している法華経のコミックを読んだことがあります。
それは、法華経の七つの譬えが、コミックで解説してあるものでした。当時、さっぱり意味が分かりませんでした。
「面白くもなんともないという感じで、コミックを閉じた記憶があります。」
小学生で法華経を理解しろというのは少し無理ですが・・・
そのコミックには、「化城の譬え」も描写してあったのです。
あれから、十数年の時を経て、この比喩が理解できる時が来るとは、思いもよりませんでした。
「化城の譬え」を思い描くと、あの小学校の時の記憶が甦ってくるのは、とても不思議な感じがします。
また、2500年も前に、お釈迦様が説いたこの「法華経」が、どの時代の信仰集団や信仰状況にも当てはまるのは、本当にスゴイと思います。
それだけこの「譬え話」は、真実をついていて、本当の覚りというものが存在していることの証明でもあると思います。
また、お釈迦様の当時の信仰集団も同じような状態だったはずです。
お釈迦様が、あらゆる手段を用い、また苦労されて、衆生を済度されていたことも、私には思い浮かびます。
お弟子の中には、誤った解釈をして、偽物だとインチキだと言って、誹謗中傷を加える人物もいたはずです。また、仮の城で良しとしてし、フェイドアウトしたお弟子もいたはずです。
それでも、宗教的使命感というものが、お釈迦様の背中をプッシュし続けたのです。お釈迦様は入滅するまで、衆生を済度し続けたのです。(宗祖というのは本当に大変です。)
禅僧が見性(けんしょう)すると、古の高僧の境地や苦労を、体感できると禅語録に書いてあります。
私も、全部ではないですが、この「化城の譬え」を思い浮かべると、お釈迦様の苦労の片鱗が、伝わってくるのが、とても不思議です。
●やはり、「先天の修行」ワールドメイトで教えて頂いたからこそ、「化城の譬え」が理解できた。
ここまで、私の解説を紹介させて頂きましたが、ワールドメイトリーダー、深見東州先生は、ご講演で、何回も白隠さんや、法華経の解説をして下さっております。
そのおかげで、「化城の譬え」は、法華七喩の中で、一番初めに理解できていました。
それでも、他教団にいたのでは、絶対に分からなかったはずです。
(リーダーの咀嚼力が乏しいからです。)
ワールドメイトで、先天の修行をさせて頂いていたからこそ、私は、理解できたのだと思います。(完璧に理解できているかはわかりません。しかし、ほぼ間違いないとは思います。)
ワールドメイトおよび深見東州先生との縁ができたことに、私は本当に感謝させて頂きます。
他の譬え話も、解説できそうでしたら、紹介してみます。
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実は、この法華経の「化城の譬え」は、私が法華経の七喩の中で、一番初めに理解できた「譬え話」なのです。
(※一番簡単な内容なのかも知れません。)
★法華七喩とは(wikipediaより)
※「一部抜粋」
法華七喩(ほっけしちゆ)とは、法華経に説かれる7つのたとえ話のこと。
また法華七譬(しちひ)ともいう。7つの物語をたとえ話として説いている。
これは釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化したスタイルに則しており、法華経の各品でもこの様式を用いてわかりやすく教えを説いたものである。
----(引用終了)----
★化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)とは (wikipediaより)
宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。
しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。
そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。
人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。
この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、仏の化導によって二乗がその悟りに満足せずに仏道修行を続けて、一乗の境界に至らしめることを説いている。
法華経では、遥か昔の大通智勝仏が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見(まみ)え、四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを示し理解して、また修行により真の宝である一乗の教えに到達させることを表している。
----(引用終了)----
★「化城の譬え」私の解説
「ワールドメイト アンタレスの輝き」さんのブログでも、「化城の譬え」を解説してありましたが、私の解釈とほぼ同じです。
(以下が、私の解釈です。)
「宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。」
※ここの描写は、沙漠上を旅しているという解説が多いです。Wikipediaの解説は、砂漠を省いてあるようです。
信仰を志す集団が、真実なる道や宝を目指して、砂漠上を、旅しています。
※「東京砂漠」という、内山田洋とクール・ファイブの1976年(昭和51年)のシングル曲がありますが、このタイトル名は、この世(無常)のことを上手く言い当てていると思います。
「しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。」
信仰を志す集団は、砂漠上のためもあるのか、喉も乾き、体力も使い果たし、もう動けなくなってしまったのです。
「そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。」
ここが、この譬え話の中でとても重要な箇所です。
一人の導師(リーダー)が、神通力を駆使して、幻の城を化現させたのです。そして、その城に信仰集団のメンバー達を休ませたのです。
このお城は何を意味しているかというと、現代の事象で説明すると、主に、病気平癒、進学、就職、結婚、出世、収入、悩み事の解決、などです。
ようするに、導師(リーダー)が、神通力を駆使して、ある程度がんばって旅を続けてくれた人たち(旅人達)に、信仰上ある程度出てくる、現実的な功徳(病気平癒、進学、就職、結婚、出世、収入、悩み事の解決)を与えたのです。
※wikipediaでは、信仰上の一時的な悟りと解説してあります。
「人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。」
人々は、旅を続けて良かったと喜んでいたのですが、この城での喜びは(この世の喜び)は、いつまでも続かなかったのです。だんだん虚しくなっていったのです。
(御魂(みたま)が、あまり喜んでいなかったのです。)
この喜びは、仮のお城だったのです。
そう思っていた時に、
導師が、
「これは仮りのお城なんだと、さあ、本当に真実なるお城に向いましょう」
と言って、再び旅が始まるのです。
そして、また砂漠上(この世の事)を旅している時に、人々は疲れて切ってしまい、どうしようも無くなった時に、再び、導師が神通力を駆使して、仮の城を出現させるのです。
これを、何回も繰り返す過程の内に、真実なる城に到着するのです。
真実なる城とは、本当の覚りに達することだと思います。
禅の世界で言えば、見性(けんしょう)する。ワールドメイトで言えば、神人合一の道を体得する。仏教で言えば悟るでしょうか。
「化城の譬え」はここまでしか書いていませんが、覚ったらそれでお終いではいけないのです。
「ワールドメイト アンタレスの輝き」さんのブログで紹介されておりましたが、今度は導師(リーダー)としての務めもあるかと思います。
具体的な例で言うと、
白隠禅師は、導師(リーダー)として生涯務められ、晩年は500年に一度の天才と言われるほどの大導師になっていたのです。
伝教大師最長も、弘法大師空海も、古(いにしえ)の高僧は、みんな導師だったのだと思います。この化城の譬えのように、定期的に功徳(くどく)を出して、信仰集団を導いていたのです。
現代では、ワールドメイトリーダー深見東州先生もそうだと思います。
●信仰を志す者は、真実なる城を目指せ!
信仰を志す者は、仮の城を、真の城としてはいけないのです。真実の城に到着しなければいけないのです。
ここを間違えると、宗教に対して、間違った見解を持ってしまうのです。
本物の城や宝は、そんな簡単には到着できないのです。沙漠上を旅するのですから、辛い時があるのも当前なのです。
受験でも志望校に入学するには、勉強をしなければいけないのです。
古の禅僧が、見性(けんしょう)を得るには、十数年の修行がいったと、禅語録に載っています。
まさに、信仰というものは、どういうものかを、「化城の譬え」は解説していたのです。
●古の導師(リーダー)の苦労が伝わってくる。
前も書きましたが、私は小学校の時に、ある仏教教団が出している法華経のコミックを読んだことがあります。
それは、法華経の七つの譬えが、コミックで解説してあるものでした。当時、さっぱり意味が分かりませんでした。
「面白くもなんともないという感じで、コミックを閉じた記憶があります。」
小学生で法華経を理解しろというのは少し無理ですが・・・
そのコミックには、「化城の譬え」も描写してあったのです。
あれから、十数年の時を経て、この比喩が理解できる時が来るとは、思いもよりませんでした。
「化城の譬え」を思い描くと、あの小学校の時の記憶が甦ってくるのは、とても不思議な感じがします。
また、2500年も前に、お釈迦様が説いたこの「法華経」が、どの時代の信仰集団や信仰状況にも当てはまるのは、本当にスゴイと思います。
それだけこの「譬え話」は、真実をついていて、本当の覚りというものが存在していることの証明でもあると思います。
また、お釈迦様の当時の信仰集団も同じような状態だったはずです。
お釈迦様が、あらゆる手段を用い、また苦労されて、衆生を済度されていたことも、私には思い浮かびます。
お弟子の中には、誤った解釈をして、偽物だとインチキだと言って、誹謗中傷を加える人物もいたはずです。また、仮の城で良しとしてし、フェイドアウトしたお弟子もいたはずです。
それでも、宗教的使命感というものが、お釈迦様の背中をプッシュし続けたのです。お釈迦様は入滅するまで、衆生を済度し続けたのです。(宗祖というのは本当に大変です。)
禅僧が見性(けんしょう)すると、古の高僧の境地や苦労を、体感できると禅語録に書いてあります。
私も、全部ではないですが、この「化城の譬え」を思い浮かべると、お釈迦様の苦労の片鱗が、伝わってくるのが、とても不思議です。
●やはり、「先天の修行」ワールドメイトで教えて頂いたからこそ、「化城の譬え」が理解できた。
ここまで、私の解説を紹介させて頂きましたが、ワールドメイトリーダー、深見東州先生は、ご講演で、何回も白隠さんや、法華経の解説をして下さっております。
そのおかげで、「化城の譬え」は、法華七喩の中で、一番初めに理解できていました。
それでも、他教団にいたのでは、絶対に分からなかったはずです。
(リーダーの咀嚼力が乏しいからです。)
ワールドメイトで、先天の修行をさせて頂いていたからこそ、私は、理解できたのだと思います。(完璧に理解できているかはわかりません。しかし、ほぼ間違いないとは思います。)
ワールドメイトおよび深見東州先生との縁ができたことに、私は本当に感謝させて頂きます。
他の譬え話も、解説できそうでしたら、紹介してみます。
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2012-11-10 16:27
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