解かった!法華経の衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え

 法華経にある、衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩えを皆さまご存じでしょうか?

法華七喩(wikipedia より引用)
衣裏繋珠(えりけいじゅ、五百弟子受記品)

 ある貧乏な男が金持ちの親友の家で酒に酔い眠ってしまった。親友は遠方の急な知らせから外出することになり、眠っている男を起こそうとしたが起きなかった。

 そこで彼の衣服の裏に高価で貴重な宝珠を縫い込んで出かけた。男はそれとは知らずに起き上がると、友人がいないことから、また元の貧乏な生活に戻り他国を流浪し、少しの収入で満足していた。

 時を経て再び親友と出会うと、親友から宝珠のことを聞かされ、はじめてそれに気づいた男は、ようやく宝珠を得ることができた。

 この物語の金持ちである親友とは仏で、貧乏な男は声聞であり、二乗の教えで悟ったと満足している声聞が、再び仏に見え、宝珠である真実一乗の教えをはじめて知ったことを表している。

(引用はここまで)


 実は、私は小学校の頃、ある仏教教団が出している法華経のコミックを読んだことがあります。
 それは、法華経の七つの喩えが、コミックで解説してあるものでした。当時、さっぱり意味が分かりませんでした。
「面白くもなんともないという感じで、コミックを閉じた記憶があります。」小学生で法華経を理解しろというのは少し無理ですよね・・・


 ワールドメイトに入会して、神人合一の道を学ぶようになり、ある程度経ってからのことです。


 あるワールドメイト定例講演神業の際、深見東州先生が、法華経の「長者窮子の喩え」の解説をされていることがありました。

 この時、「そういえば、法華経といえば、昔コミックを読んだことがあったよなあ」と思い、もう一度、七つの喩えが分かりやすく和訳されている法華経を読んでみたのです。

 七つの喩え話の中で、衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩えの箇所を読んだとき、

「解かった!法華経の衣裏繋珠(えりけいじゅ)の喩え!!」

 と、とても喜びました。

 お釈迦様が説いた教えが、2500年の時を、一瞬で現代まで駆け巡ってくる感じです。衝撃が体にガーンと入ってきたのです。
(最近の研究では、法華経の成立は、紀元前後というのが有力だそうです。)

 禅僧が悟りを開く時の衝撃まではいかないにしろ、その何割かの喜びみたいなものが、体を包むのです。


 なるほど、この貧乏な男は、自分にある「御魂(みたま)」というのが分からないから、迷いが生じ、貧困の生活を送ってしまうのだと。
(詳しくは私のブログタイトル ワールドメイトに入会して良かった。御魂を磨くことが本当の幸せなんだ。)をご確認ください。

 そして、時を経て再会した親友に指摘され、

・御魂(みたま)の存在
・神仏の存在
・それらの運用の方法

を知った時に、自分自身を本当に幸せにできるものは、自分で持っていたのだ、気がつかなかったのだと、と悟るわけなのです。


 だれでも御魂を持っていて、だれでも自分自身を自分で幸せにできるからこそ

「お釈迦様の教えを忠実に実行し、涅槃に到ることを旨とした上座部仏教」よりも、
「俗世間で生活しながらしかも最終的には仏に成れると主張した、大乗仏教」がいかに、優れているのかも、同時に解かりました。


 ワールドメイトは神道グループなのですが、ここで教えてもらったことを実践体験していくと、仏教のことも良くわかるようになるのが、本当に不思議です。

 よく「自分探しの旅をする」という人がいますが、これは誤りで、自分は自分が持っているのです。どんなに探しても、見つからないのです。



 法華経には、七つめの喩えとして、「良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)」というのがあるのですが、これはまだ私では理解できていません。

 日蓮上人が、比叡山に12年間修行して、一切経典読破した中で、法華経こそが、釈尊が説いた教えの中で、最も重要な教えで、その中の「良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)」が特に大切だと、喝破したそうです。

 私は、この「良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)」を、何回読んでも、体に入らないのです。
 いつか解かるときが来ると信じて、今後も神人合一の道を、学んでいきたいと思います。


 次のタイトルは、

  通した!白隠禅師の「隻手音声」の公案

                         です。

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